明治、大正、昭和、そして平成。
時代を超えた三人の名匠たち。


初代/秋友好治(明治29〜昭和18年没)
山師の鳶、鶴、斧の製作を手掛ける。


二代目/秋友義光(大正7〜平成2年没)
使用する現場で柄の取り替えが容易な角ヒツ鉈を考案。
その後、通称「柄鎌」を呼ばれる角ヒツ鉈は、土佐を代表
する鉈として日本各地で山林のプロたちに愛用され続けている。

三代目/秋友義彦(昭和19年生まれ)
15歳の頃より父である二代目義光に師事。20歳で独立し、
様々な工法を駆使し、九州全域で絶大な支持を得た
「丸ヒツ鉈」の原形を考案。完成された安来鋼のポテンシャルを
最大限に生かす鍛造法と熱処理で、信用ある城山ブランド
を確立。昭和50年、小豆島護国寺への「不動刀」を製作し
、奉納。1995年、新たに日本刀を同じ「甲伏せ造り」を独自の
製作方法で開発し、現在、通称「本焼き」と呼ばれる製法
によって様々な作品を世に送り出している。

 

初代/秋友好治   二代目/秋友義光  三代目/秋友義彦



RED ORCA 〜秋友義彦 鍛造への情熱〜 鋼を知り尽くすものだけが叶える、伝統の「甲伏せ造り」。

「甲伏せ造り」
伝統の製法を実現するにはより高度な技術と経験が必要です。
三代目、秋友義彦は先代から受け継いだ技術を生かし、更に弛まぬ研究、試行を重ね、
他に比類のない刃先硬度、仕上がりの美しさを持つ究極の剣鉈、ナイフを完成させました。


元来、日本刀を造る製法のひとつである「甲伏せ造り」。この伝統の製法を実現するにはより高度な技術と経験が必要とされ、全国でも数えるほどしかその製法に辿りついたものはいない。心金となる極軟鉄に安来鋼を巻く製法であり、叩き上げの時、既に実用に耐えられるかどうかが決まってしまう。幾多の鍛冶屋が挑み、焼入れの失敗を重ね、製品として世に出すまでには十数年の試行錯誤が必要である。鉄と鋼の表情を知り、鋼材と対話が出来る者だけが叶える究極の製法、それがレッドオルカの「甲伏せ造り」なのです。



先代より受け継いだ型紙。

鉈、山刀はマタギの命を守る道具であり、その実際の仕事の現場から出る様々な要望に応え洗練されてきました。

炎を操る。

刃物造りは炎との戦いです。原始時代、ヒトが炎を手にしたときから文明が築き上げられてきました。炎と戦い、炎を御する事が出来るまでには、長い鍛造の修練が必要です。
火造り

安来鋼の角材を赤く熱し、甲伏せの為の割り込みの準備をします。
火造り

タガネで割り込みの溝を割っていきます。
火造り

割った溝に接着剤となる硼砂(ほうしゃ)酸化鉄粉を塗し軟鉄を割り込みます。
火造り

炎の色を見、音を聞き挟み込み加熱(わかし作業)を行います。
火造り

鍛接。ベルトハンマーで叩くと、溶けた硼砂が飛び出すのと同時に酸化鉄の皮膜も飛び出し、軟鉄と鋼の新しい肌と肌が圧着されます。炉で加熱しながら叩くことを繰り返し、刃物の形に整えていきます。
荒仕上げ

グラインダーで全体の形取りをしていきます。
  荒仕上げ 荒仕上げ
荒仕上げ 焼きいれ・焼き戻し

美しい波紋を作り上げる焼き土も試行錯誤を繰り返し、様々な産地の土を用い、地元(土佐)の鍛造所、裏山の土にたどり着きました。
焼きいれ・焼き戻し

焼入れを行い 刃を硬くし、焼き戻しで粘り強さをだします。
焼きいれ・焼き戻し

焼入れ、焼き戻しでは、温度とタイミングが重要です。火の色を見、水の音を聞く。熟練の技術が光ります。